2023年9月14日木曜日

ぼくの明日

 「また明日会いに来るから待っててね」


その言葉だけが記憶に残ってそれがいつの出来事で誰から言われたか全く覚えていない。
もしかしたら自分の妄想?夢?
ずっとずっと心の中に引っかかって抜けないのだ。
普段は忘れていても急にこの言葉が脳裏によぎってくる。
一度思い出してしまったらしばらくこの言葉に呪縛されたように頭から離れない。
そして今この時もこの言葉に縛られている自分がいる。
「また明日会いに来るから待っててね」
そう優しくとも悲しくともとれる感情がこちらに伝わってくる。
誰からの言葉だったろうか。何故自分は覚えていないのだろうか。
濃い霧の中を彷徨っている感じがして不安がこみ上げてくる。
外では物が解体されるようながれきがこすれ合うような音がする。
だからあえて考えないようにしている。
なのにある時気づいてしまった。
自分は待っているのだ。
ずっとずっと長い間、気が遠くなるような長い間待っているのことに。

綺麗な街並みの一角のガラスウインドウ。
行きかう人々が自分に目を向けてはそらし目的地に急ぐ。
そんな人を見送る毎日。退屈と物珍しさが交互に繰り返される感情。
何度目かの季節が廻ったある晴れた日。
小さな女の子がこちらをじっと見つめている。
隣にいる母親に手をつながれ足をとめてじっと見つめてくる。
「お母さん、このくまさん可愛いね」そんな言葉が聞こえてきた。
「そうね。このくまさんはたくさんの人を毎日見送ってくれているのよ。
お母さんが小さいころからここに座っているんですもの」
「そっか。すごいね!バイバイ。また明日ね」
バイバイと手を振って母親に手を引かれいつまでも振り返っていた小さな女の子。
その子は小学生になりランドセルを見せに来てくれ、やがて制服を着るようになりぼくの前を通り過ぎって行った。
たくさんの友達と一緒に話しているのは恋バナなんだろうか。
あの頃のようにこちらを見ることも無くなってしまった。
忘れられてしまったのだろうか。あの子は成長とともに見向きもしてくれなくなった。どんどんぼろぼろになっていく自分。
職人によって服を変えられほつれた場所は綺麗に縫われ、中綿も取り換えてもらい、女の子に手を振ってもらえた自分はどこにもいない。
ただ自分の記憶の中に残る女の子の魔法の言葉が忘れられない。
ねえ、忘れないで、また足をとめてこっちを見てくれない?そして手を振って欲しいのに。
ほら今日もあの女の子が通り過ぎる。隣には男性がいてとても仲良さげに通り過ぎていく。そっかもう少女ではなくなったんだね。
あぁ、もうあの子の中には居ないんだ。ぼくの存在は無くなってしまったんだ。真っ暗な心の中にポツンと一人膝を抱えると少しだけ安心出来る。
でも、でも、一人ぼっちは怖いよ、寂しいよ、嫌だよ。
やがて修理もされなくなったぼくは縫い目から綿が見えるようになり片目が取れ足は引き千切られたように無くなった。
通り過ぎる人たちの声が聞こえてくる。
「このお店潰れちゃったんだって。もうすぐ解体されるらしいよ」
ぼくはこのお店と一緒につぶされてしまった。
漠然とした記憶だけがふわふわと漂う感覚だけになった。

ぼくの明日はなかなか来ない。きっと永遠に明日は来ない。
どれだけ日が昇ろうと日が沈み夜空を見上げようとぼくの明日は永遠に来ない。

2022年8月29日月曜日

シン・ふるさと

 今私の頭の中で童謡の『ふるさと』がぐるぐるしている。

「ウサギ追いしかの山 小鮒釣りしかの川」のそれである。
私はこの歌の2番が苦手だ。嫌いじゃないむしろ好きな曲調だけど2番は苦手だ。 どうにもすべての歌詞が私を突き刺すのである。

 私は若いころ母親を病気で亡くしその時の父親も仕事で忙殺されていたこともありあっさり過労で母を追うように亡くなった。
振り返って考えてみるとわざと仕事を入れていたのではないんだろうかと勘繰ってしまうくらい忙しそうだった。
そしてつい最近友人を病気で亡くした。
そのショックから立ち直るころからこの童謡が頭から離れなくなった。
気づけば最初の出だしを歌い2番目の歌詞で心をえぐられ3番目の歌詞で涙する。情緒不安定だと自分でも思うがどうにもできないのだ。

「如何にいます父母 恙なしや友がき」
田舎には両親はすでに居らず、友達も亡くし空っぽの自分を突きつけられる。
その友人とはいつか沖縄へ行って首里城を見ようよ、なんて話したこともあった。結局お互いの都合がつかずそれは永遠に出来なくなってしまった。
私が手を伸ばそうとするとそれは遠のくのだ。
なら手を伸ばさずじっとしていれば良いと思うようになった。
それから私は部屋に閉じこもることが多くなった。
パソコンやスマホでSNSを見たり好きな料理を作ってみたり。
仕事で家を出る以外部屋に閉じこもっていた。
どの道一人暮らしだ。迷惑をかける家族もいない。
外に出るのはたまにスーパーに足りない食材を買いに出かけるくらいだった。

 きっと私の心はカラカラに乾いていたのだろう。

砂漠のようにじゃりじゃりと乾ききっていたのだろう。
どうせ私には何もない。田舎に思いを寄せる親も無いし家も無いし友人の一人を失った。
きっと私は手を伸ばして何かをつかみ取ってはいけないんだという殺伐とした思いしか残っていなかった。

 そんな毎日を半年ほど過ごしていたころだった。
ある日冷蔵庫を開けると空っぽ。何だか自分を見ているようでいたたまれなくなり、思い切ってたくさんの食材で詰めつくそうとスーパーへ向かった。
そうすると自分も満たされるんじゃないかと思った。

 歩いて5分のところにあるそこそこ欲しいものが揃う店がある。
この店が決め手になり今の部屋を借りた。
食品をこれでもかという量をかごへ入れレジに向かう。
買いすぎたかなと両手に重い荷物を持つ帰り道に黒い子猫が道の端で鳴いているのを見つけた。
その時は近くに兄弟や親猫もいるのだろうと思い通り過ぎた。
部屋に戻り買った食料品を冷蔵庫に入れていく。
一人暮らしの冷蔵庫にしては大きいかなと思っていたがこうやって次々物を入れていくとそこそこ潤った庫内になり少しだけ自分も満たされた気がした。私の心は小さな水たまりくらい潤ったと思う。
 そんな時先ほど見かけた子猫が気になり始めた。
窓の外を見ると今にも雨が降りそう。
あの子猫も自分のように親が居なくなり兄弟ともはぐれていたら? そう思うとバスタオルを1枚持ちさっき子猫を見かけた場所へ行った。
 だけどそこに子猫はいなかった。
 あぁ、そうか。
 自分が手を伸ばそうとしたからだ。
 また自分をすり抜けていくのか。
雨が降り始めた。どのくらいそこに立っていたのだろう。
バスタオルだけを持った気味の悪い女が一人うつむいたまま動かないのはどれだけ滑稽に見えただろうか。

 そうだ。帰ろう。私に帰る場所はあそこしかない。
冷蔵庫も満タンにしたししばらくは困らない。
あの小さな一室が私の帰る場所なのだ。
持っていたバスタオルを広げ頭にかざしながら来た道を戻った。
玄関を開け誰もいない部屋に向かって「ただいま」と言った。
この部屋には少し大きめの冷蔵庫が待っていたよと迎えてくれたように感じた。

おしまい

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三題話「沖縄 SNS ねこ」+タイトルにシン・をつける。
週刊ドリームライブラリさんのサイトにも同じのがあります。